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佐藤 誠孝(さとうせいこう)
生年月日:昭和22年2月22日生まれ
血液型:0型
好きな言葉:『和』
そのこころは・・・
「人間はたくさんの人と関わって生きています。なごやかな関係を大切にしていきたいですね。」
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少年時代 〜戦争の傷跡〜
生まれはいわき市ということになっているが、実は疎開先の福島県会津若松市。 幼い頃からこけし作りの修行を積んだ父誠は、20代後半から木工品を製造する会社の経営者になっていたが、太平洋戦争の影響で事業に失敗。父が各地で転々と事業をする中、母秀子と、兄光良、姉香代子の4人で少年時代をすごす。
青年時代
〜海の男〜
15歳の時、高校を中退後、自動車整備学校に入学し、ほどなく修理工として働き出すが、その間に、夢でもあり、衣食住を負担してもらえて、苦しかった家計を助けることもできる船乗りを目指し、海技学校への費用、勉強などの準備をして、単身静岡県清水市にある日本海技学校へ入学。その後、10年にわたり、七つの海をまたにかける、まさしく「海の男」として活躍した。
その間、送られてきていたお金を一部として、母秀子は旅館経営を始める。旅館は軌道に乗って忙しくなったが、船を降りて助けることまではその時はしなかった。
海の男、一転こけし工人へ
長年家族とは別居生活を続けていた父誠は、晩年になり家族と多少の交流はあったが、岩手県平泉で一人こけしを挽いていた。その父が亡くなったとき、船を降り、こけしを継ぐ決意を固めた。
兄と二人でつかんだ、人生の師との出会い
それからしばらくの間は旅館の番頭の仕事をこなしながら、父誠の弟子であった高橋精志氏の所に通ってこけしの修行に努めたが、作家であった兄光良の著書「父のこけし」などを通じて、「名品こけしの指南役」と歌われた森亮介氏に出会う。
氏の、厳しくも心ある暖かい指導のおかげを持ち、旅館は人に譲り、専業のこけし工人として活動し始めた。
現在は、全国に多くのファンができるようになり、各コンクールで上位と呼ばれる大臣賞も数多く受賞した。平成15年にはみちのくこけしコンクールにおいて最高賞の内閣総理大臣賞を受賞。きっと亡き父誠、そして森氏も喜んでくれていることだろう。
これからの佐藤誠孝
現在は、妻美喜子、長男英之もこけし工人として修行を積んでいる。今後は、森亮介氏から仕込まれた、「先代の名品を復元することを通して、長年受け継がれてきた伝統のすばらしさを伝える」ことに加え、「伝統の魅力を生かし、現代に愛されるものを作る」という、新しい世界へと進んでいます。 |