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伝承の由来
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木地処さとう伝承の由来
こけしの作品集を御覧頂く前に、少しだけ「伝統」という事に触れておきたいと思います。
なぜ「伝統こけし」というのか。それは、こけしを大きく分類すると、「近代創作こけし」と、「伝統こけし」に分けられるからです。
では、どういうものを伝統こけしと呼ぶのか。これは、いくつか定義があります。
1、伝統こけしを継承するには、伝統こけし工人の家系の人間であるか、又はその家系に弟子入りして修行した者でなければならない。
2、伝統こけしは、系統ごとにその作り方、描彩に決まりがあり、継承者はそれに忠実にこけしを作らなければならない。
という決まりがあります。つまり、ある日突然こけしを作りたいと思っても、伝統こけしを作ることはできないということです。上記の決まりにまったく関係なく、自由なこけし作りのことを、近代創作こけしと呼んでいます。
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私たちは、名前の通り佐藤家なのですが、弥治郎系小倉派という流派に属しています。
まず弥治郎系伝統こけしの特徴は、頭のベレー帽と、胴のロクロ線、伝統の色調です。
小倉派は、宮城県弥治郎村にある小倉家という名門です。佐藤家は特に親戚という訳ではないので、血縁関係もないのですが、どうして伝統こけしを継承することが出来たのでしょうか。
それは、佐藤家初代こけし工人である、佐藤誠(誠孝の父に当たる)が、九歳の幼少の頃、家庭の事情で奉公に出された先が弥治朗村の小倉家であったからなのです。現代では奉公という言葉はなかなか耳にする事が少なくなりましたが、そのおかげですばらしい修行を受ける事が出来た、といえると思います。
佐藤誠は21歳の時に修行を終え、福島県いわき市に移り住みました。その時に、こけしも一緒に持ち帰った、というのが佐藤家がいわき市に伝統こけしを継承した原点になるのです。
今年平成17年で、佐藤家が修行を始めた時から94年が経ちました。更に、誠孝がこけしを継承してから31周年にあたる年です。
これから100周年を迎える木地処さとうです。これからも皆さんに楽しんでいただける制作活動を続けて行きたいと家族一同考えておりますので、これからも宜しくお願いいたします。 |
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